ふしみ日記

毎日の個人的なあれこれの羅列

震災記念日に思う。

2022年3月11日(金曜)

午後2時46分。11年前。
まもなく最大の悲劇、

津波がやってきた時間になる。

ウクライナも今、まさに悲劇の真っただ中。
世界は茫然とその様子をTVで眺めてはいる。
がどうすることもできない。

11年前のあの日と同じように。

ただ、ひたすら逃げて、
生き延びてと願うしかなかった。
そして今も。

その後の原発事故による放射能の恐怖。
それはまだ続いている。
皆、忘れたような顔をして生活をしているが
私はずっとずっと気にしている。

そしてこのコロナ禍。
2年は引きこもりの自粛生活だ。
怖くて外食も旅行も一切していない。

我関せず堂々とSNSに
それらを自己顕示する人々もいるけれど
そういう人はごく一部の人で、
私とは価値観が全く違う人たちだろう
と思うしかない。

昨日は東京大空襲の記念日だった。
母も姑もあの戦時下、
米軍の戦火を生き延びた。


あの頃の閉塞感に
今は似ているのかもしれない。
じっと身を潜め、
世の中の大事が
都合よく終息してくれることを願うだけの生活

先の見えない長いトンネル
果たして光輝く出口はあるのだろうか?

人間とは本当に愚かなものだ。
何回も同じ失敗を繰り返す。
それでも懲りない。

金や地位を求めて争う。
そのためには他者の命なんて
霞んでしまうのだろうか。

今朝、ふと思う。
ちっぽけな自分が
何をしてもどうにもならない、と。


ただ、傍観してるだけ。
批判することはできるけど、
変えることはできない。

無力だけれど、
それに潰されて
ネガティブになっていても仕方ない。


なるようになるしかない。
ならぬことをあれこれ思案しても
暗くなるだけだ。

まだ起きぬことをあれこれ不幸に考えるのも
ある意味、時間の無駄遣いだろう。

遺された時間
愉しく生きるしかない。
明るく前向きに。

暗い言葉を綴っても致し方ない。
どんどん気持ちが落ち込むだけだ。

限られた人生、楽しもんだ勝ちだ。
傲慢かもしれないけれど
そのぐらいのスタンスでいた方が
精神衛生上、よろしいのだ。

くよくよ考えず、
今日を明るく
今を愉しく、
前向きに生きよう!

それしか、ない。